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旅人文化振興会メンバーのトシリンの海外協力隊時代(’86〜’88)の中米の旅です。
この旅行記風文章は、トシリンが商社員として台湾・中国など頻繁に出張生活を繰り返していた頃 海外での活躍を目指しはじめていた同僚の社員にあてて書いたものです。

世界が君を待っている

第一夜 2日目「ティカル訪問」

ティカルはジャングルの真っ只中、近くに人里の無い大ジャングルの真ん中に有り、まず地上 からでは、ピラミッドの足元にでも立たなければ絶対気づきません。周囲数キロの範囲に5基 ほどのピラミッドが散在しているのですが、とても1000年以上前にそれらを包み込むほど の大都市が有ったとは信じられません。自然ってものすごいんですね。

遠くに見えるピラミッド

普通観光客は、朝6時ごろから見学を始めて暑くなる前、9時ごろには見学を終わらせて 帰って行くらしいのですが、怠惰な私は7時ごろ起きて、ゆっくり朝ご飯食べて、渡し舟で 島から対岸のフローレスに渡り、車をつかまえてティカルに着いたのはもう9時を回って いました。

一番奥の一番でかいピラミッドから登り始めたのですが、7〜8階のビルよりチョット高い ぐらいでしょうか。頂上まで登るとちょうど林冠の上に出て周りが見渡せます。遥かとおくに 他のピラミッドがやはり頂上部だけ見せて点在しているのが見えます。

既に暑くなっていて、かなたのピラミッド群を見た瞬間、 あれを全部見て回るのかと思うと不吉な予感が走りましたが、案の定ひどい目に会いました。

すべてのピラミッドを登り終えてジャングルからころがり出てきた時には、 脱水症状を起こして行き倒れ寸前、だって自動販売機なんて無いんだもん。 ピラミッドでミイラになったら洒落にならない。(中南米のピラミッドはお墓でなくて神殿ですが。)

一番奥のピラミッド ピラミッド

さて、ピラミッドを見終えるとグァテマラ・シティーに戻って、いよいよ知る人ぞ知る地上 最後の楽園パナハッチェルです。パナハッチェルへはバスで行くんですが、バス停に行って 驚いた。まずほとんどの人がインディオの民族衣装を着て訳わかんない言葉でしゃべってい るのです。スペイン語が通じない。。。

そうグァテマラは人口の9割がインディオで、しかもその言葉は部族別に大きく分けても22の 方言に別れているのだそうです。 マヤの時代にタイムスリップしたのかと思った。

バスがまたすごい代物で、昔ボンネットバスって有ったでしょ(知らないか)、 あれを半分にしてボロボロにしたようなやつで、15人も乗ると一杯になっちゃうの。 それに生きたまま足を縛ったニワトリやら、タマネギやジャガイモの袋を担いだ民族衣装のインディオのオバサン、 オジサン、ガキ達がゾロゾロ乗り込むので騒々しい限りです。

その喧燥を乗せたままバスは一路パナハッチェル近郊のソロラと言う街を目指し出発します。 中南米のバスはどこも同じですが、運転席の周りをゴテゴテとマリア様やキリストのシールなど貼って、 飾り立て流行歌のテープをガンガンかけながら走ります。

アンティグアと言うその名のとおり古ぼけた昔の首都を通り過ぎると、 もう路は山間の渓谷に沿って登り始めます。 渓谷の対岸の斜面には日本の民家のような縁側のある農家が点在し、 驚いた事にその縁側で機織りをしてるんですよ。 日本の山村そっくりで、我々モンゴロイド族も遥かな旅をして辿り着いたのだなーと感心させられました。

さてソロラ近くの山道での出来事です。 いきなり道へ軍隊がわらわら出て来てバスを囲んじゃいまして、 ダバっとドアを開けてみんな降りろと言うじゃありませんか。

服装は政府軍のものでしたが、ゲリラ狩りをしてるらしく相当殺気立っています。 銃を構えた兵隊達の前でバスに向かって、ボディーに手をつけて一列に並ばされて、 一人づつ身体検査が始まりました。

「サルバドル」と言う映画で軍隊が路上で検問してて、「セドラ」と言う身分証明書を持って なかった学生をあっさり撃ち殺しちゃうのが有りましたが、あんな感じです。びびったですホントに。

私の順番が来て身分証明書と言えばパスポートしかないんで、 これを見せたら「Oh Diplomatico!」とか言って即OK。その後もこの「Oh Diplomatico!」は何度も聞く事に なるのですが要はオフィシャルパスポートなんですね。オフィシャルパスポート=政府関係者、 青年海外協力隊員がなんでオフィシャルパスポートなのかは疑問ですが、とにかくこれの威力 はどこでもすごい。成田ではあの偉そうな警察や空港職員がこきたない若造に最敬礼で 「ご苦労様です」ですからね。

グァテマラも少数のファミリーが国の富を吸い上げ、マジョリティーであるインディオ達は、 永遠に収奪される仕組みになっておりまして、ゲリラ達の活動もイデオロギーより生存権の 主張が目的なんです。ペルーのセンデロルミノソやメキシコでの農民のゲリラのニュースなどを 見ると、生活に貨幣の不可欠な社会を持込んでしまったのが不幸の元ではないかと感じます。

なんとか無事ソロラまで到着しました。 本当はここでバスを乗り換えるのですが、ただでさえ時間通り着かないバスがあんな事でさらに遅れたもんだから、 もうパナハッチェル行きのバスが無い。

グァテマラと言う所は結構寒い所で「エル・ノルテ」と言う映画でも見たでしょう。 野宿は出来ません。しょうがないのでヒッチハイクですよ。もう「進め電波少年?」のさきがけです、 こっちはヤラセはございませんが。

トラックの後ろの荷台に乗って風にビュービュー吹かれて、崖に張り付いた道を下って行くスリルは最高です。 ちょうどソロラは、アティトラン湖を囲む200mぐらいかなーの崖の上にある街で、 パナハッチェルはそのアティトラン湖のほとりに有るのです。

パナハッチェル パナハッチェル

パナハッチェルに着くともう日が暮れかけていました。 あわてて小さなペンションを取り落ち着きました。 街と言っても湖のほとりの小さな部落なので、人口は千人ぐらいじゃないでしょうか。

さて夜になると行く所はお酒を飲む所ですね、別にお酒そのものは特に大好きと言うわけでは ないんだけど、お酒を飲みながらお話するのは楽しいよね。飲むと心の鍵が少しづつはずれて、 いつもよりズーっとオープンにお話できるじゃない。これがお酒の方に飲まれちゃうと大変な 事になっちゃうけど。

でそんな雰囲気を求めてうろつきまわる訳です。でなぜかちゃんと嗅ぎ付けるんですね。 探し当てたのは小さなカウンターバー。7〜8席ぐらいの広さで、もちろん調度は何もなくて、 ブロック積み上げて作った家にカウンターをつけただけで、木のストールによじ登ってお酒を飲む所でしたが、 変なのがいるわいるわ、小さな4つぐらいの女の子を連れて飲んでるフランス人、 たっぷり肥えた顔中ヒゲのドイツ人。

なぜかヨーロッパ系が多かったです。 もう世界の一番端の吹きだまりみたいなところでした。 世界中から変な人がこの街にやって来て吹き溜まり、やがてまたどこかに流れて行くんだそうです。 特に目的も無く、どうやって稼いでんだかも知りませんがフラフラと流れ歩いて一生を送る。 そうゆう人達の現物を(しかも山ほど)目の前にしたのは初めてでした。

であたしは思ったですよ。 芭蕉の「奥の細道」に「・・・・舟の上に生涯を浮かべ馬の口捉えて老いをむかうる者は、 日々旅にして旅を棲み家とす。われもまた片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず・・・・・。」 確かこんな感じだったと思うけど。あこがれではあるわけですが。

無目的な人生を、無目的・無意味を確信して生きるのは相当強靭な精神力がいるわけです。 どうせ死んじゃうと思えばそうやって生きるのも一つの人生の過ごし方では有る訳ですが、 僕はもうちょっとジタバタしてなんか意味のある(自分にとって)人生でないと、死ぬとき クヤシそうでだめだなオレには出来ねーなとあの人達を触れ合ってみて感じました。ヨーロッパ の人達はその点虚無的なんでしょうか。

アティトラン湖は大きなカルデラ湖で、ちょうど支笏湖だか洞爺湖みたいに湖にくっつく ようにして活火山が3つぐらい煙を上げているきれいな湖です。透明度も世界で2番目だとか 地元の人は自慢してました。ただ泳ぐと必ず肝炎になるので泳ぐのは止めた方がいいらしい。

こんな景色の中で暮らすのはそりゃ気持ちいいの一言に尽きるでしょう。 皆が吹き溜まる筈です。 ペンションの食堂で朝ご飯食べてたら、ハチドリが迷い込んで来てガラスに当たってジタバタ しているので捕まえました。外に放してやったら中庭の花園にいっぱい仲間がいるのよ。 ハチドリが花の周りでブンブン飛び回るのを見ながらご飯食べる贅沢したくありません?

街ではインディオのオバサンが民族衣装の古着を売っていたり。ちょうど「コルテス」と言う 秋田の「なまはげ」のようなお祭りの最中で(偶然でした、オレっていつもホントについてるから) スペイン人やオオカミなどのお面をかぶった人がたくさんいろんな家を回って「悪い子がいると コルテスが来て連れてっちゃうぞー」とやっています。 インディオの中ではやっぱりエルナン・コルテスがいまだに最大の悪夢なんでしょうね。面白 かったです。

コルテス コルテス

グァテマラ編終了です。

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