青年海外協力隊員として、80年代の後半に中米へ赴任した 「世界が君を待っている」の旅行記でおなじみのトシリン。 彼の旅のきっかけから、憧れの協力隊への道のり、そして旅へと続くお話の新連載です。

旅の初めはカリブから

旅のきっかけ−青年海外協力隊への道のり

すくすく育って大学4年、就職活動も一切せず(一社も会社訪問しなかった) 青年海外協力隊の試験に臨んだ。

この試験がまた長丁場で、 一次が確か9月か10月、2次が1月、合格発表がなんと3月の中旬という、 落ちたらもう後どうしょうもないスケジュールだった。

農協指導員という採用2名の職種で受験したのだが、 いきなり一次の都道府県選考でとなりに座った人が同職種志望しかもなんと農協職員だった。 「お互い頑張りましょう。」 とか言って別れたが、 「全国で二人しか採らないのにいきなり隣りに同職種、しかも農協職員バリバリのエキスパート、あかん、無理。」 と慌てた。

そして、就職課を覗いて見たが「今頃来てもなんもないよ。」って感じで冷たい。 かなりへこんでいたが、年末なんと一次合格の通知が届いた。

この幸運に感謝し1月の二次試験に臨む。 最終選考に来てたのは11人。 枠は2つしかないのに11人。しかも大学卒業予定の新社会人は俺一人だった。

「あかん、今度こそあかん。仕事探さんと。」

と思いつつ、虚脱状態と淡い期待で向かえた3月。なんと合格通知が来た。

しかも2人募集していたのに合格したのが俺1人、もう1人の枠は該当者なし。 一体あの選考基準は何だったんだ、学力や経験でない事だけは確かだ。

そうして、念願の試験に合格したのだが、 青年海外協力隊って、合格しても直ぐには行かして貰えない。 その後は長野の山の中で3ヶ月間、語学研修やサバイバル訓練、 座禅修行などたくさんの訳の判らない訓練をやりつつ、その間何度も健康診断がある。 この訓練の間に20名近く振り落とされて、無事任地に旅立ったのは120名ぐらいだった。

これでやっと赴任地となるコスタリカに辿り着く訳ですが、旅の話は次回から。

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