やっさんの家族4人アメリカ貧乏滞在記

学生時代からの夢、憧れのアメリカへ!

大学時代に、アメリカ、カナダへのひとり旅に憧れた。しかし、結局実現しなかった。 お金もなかったし、実行力に欠けていたのかな。

ところがだ、それから20年後にその夢がかなったのだ。

1993年の夏、わたしは嬉しくてワクワクしながら、アメリカ行きのための荷物をパッキングしていた。 わたしは、当時日本で牧師をしていたが、もう一度アメリカへ勉強に行きたくて仕方なかった。

それと、学生時代に抱いていた夢を捨てきれなかったのかも知れない。 あの大地をこの足で踏みたい。そして、全く違う世界に、未知の世界に自分を放り込んでみたいという気持ちだ。 あ〜何かちがうな。もっとそれだけじゃなくて、一杯言い切れない思いがあるんだけど。

ただ学生時代に抱いていた夢とは違い、ひとり旅じゃなかった。 家内と6歳の娘と3歳の息子が一緒だった。今思えば、よく4人一緒に渡米したなと感じる。

経済的に、いくら計算しても4人で数年間アメリカに滞在するのは不可能だった。 でも、とにかく「行こうや!」という、まさしく旅人根性で、アメリカに渡った。 まさしく冒険だった。企業の派遣でもないので、誰も経済的にサポートしてくれるわけではなし、 アメリカに行っても何のあてもない。でも、わたしの入学許可がおりたので、それが「go」サインだと、決め込んだ。 今行かないで、いつ行けるという気持ちである。大学時代より大胆になったものだ。

10時間以上飛んだかな。 まもなくロサンゼルス・・という放送。 しばらくして、機体が斜めになり、窓からロスの海岸線が見えた。 来た、ついに来た。このワクワク感、これぞ旅ぞ!どこへ行くかは関係ないのかも。 このワクワク感、ゾクゾク感がたまらない。機体が、ランディングする間近に、窓からロスの町並みが見えた。 思ったより緑が多い。日差しがきつそうだ。 あ〜、ここに今から数年間住むんだ、という気持ち、 日本を出たんだという思いが、数日間滞在旅行に来たというのと、少し違う感動を与えてくれたのかも知れない。 どんな世界が待ち受けているのだろうと思うと益々胸がいっぱいになった。

ナバホインディアンとの写真

あらゆる手続きが終わり、ゲートをくぐると、これから同じアパートに住む知人が出迎えに来てくれていた。 車は、まずハイウェーを走り、そして下の道を走った。 車から見える景色は、映画とかで見ている町並みと同じだった。当たり前だけど。 ただ、小学生の時にはじめてバスの遠足で、窓から見た町並みがいつもとは違って見えたあの感覚に似ているかも。

いよいよ、アパートに着く。知人の話によると、あまり高級住宅地ではないが、危険な地帯ではない、とのこと。 ただし、暗くなったらあまり出歩かないほうがいいよ、と言ってくれた。 それって、危険地帯じゃないの?、と内心思いながら聞いていた。

最初、アパートでの生活そのものが、旅行だった。 でも、不思議なもので、日が経つにつれて、そこに住み慣れてしまうと、 もうアパートそのものは「旅」っていう感覚ではなくなってしまった。 そこを拠点に「さあ〜旅に出ようか」っていう感じかな。気持ちの問題なのかな。 定着してしまう気持ちが、旅独特の出会いの期待感を取り去ってしまうのだろうか。

このようにして、わたしたち4人のアメリカ旅行は始まった。 毎日が旅行だったのかも。 とにかく、言葉が違う、事務処理の仕方も違う、お店の人の対応の仕方も違う、 人とのつき合い方も違う・・・違うっていうことが、ストレスにもなったけれど、 その違いをどういう意識でこころに迎えるかによって、いい旅ができるのかなって教えられた気がする。

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