はじめまして、ysといいます。ひょんなきっかけからこのサイト「旅人文化」に寄稿することになりました。外国(アメリカ)に5年ほど滞在していた経験から、「旅人文化」について何か言えることや書けることもあるかもしれないという考えで書くことを決めました。

私事なんですが、私はつい先々週にアメリカから帰国してきました。サンフランシスコ国際空港でデジカメをなくしてしまったのはつくづく痛いと思いました。そのSDカードの中には私の住んでいたところの、景色のいいところ、ぜひ画像として残しておきたいものがたくさん収められていたのです。そのときは「俺のまぶたの裏にしっかり焼きついているからいいさ」なんて嘯いていたんですが、この記事を書くにあたって、「やっぱり惜しいことしたな」という思いにかられています。

言葉でしか伝わらないことがある、それは確かです。一方で、言葉では伝わらないこともある、これも確かなわけです。こうやっていろいろ文章で言葉を尽くすよりも、「こんな感じ」って現物の写真だとか(絵が描ければ)スケッチだとかを見せた方が遥かによく伝わることも多いわけです。特に旅行先(私は旅行ではありませんでしたが)の光景なんかは、百万語の言葉よりも一枚の写真の方がよっぽど多くを物語ることも多いに違いありません。

ただその一方でこうも考えるわけです。上ですでに述べましたが、「言葉でしか伝わらないこともある」ということです。写真はその場所、その瞬間にあったものを正確に切り取り、半永久的に残すことができる、すごい力を持っています。そして優れた感性と技術の持ち主であれば、その一枚の薄っぺらの紙の上に、その一瞬における撮影者の想いだとか感動だとかを強烈に焼き付け、見る人に伝染させることもできます。それは文章で言えば、俳句や短歌、一般に詩の得意とする分野になると思います。

しかし人間の思考や感情には断片的、瞬間的なものもあれば、流れや連続性のあるものもあるわけです。これは物語、だとかエピソード、などと呼ばれる形をとるものです。これを記述するのに最も適した媒体はやはり文章だと思います。他の人の書いた旅行記なんかを読むと、実際に現地に行かずとも追体験できるっていうのは、やっぱり文章ならではだと思います。映像が一切なく、イメージが読者の経験や体験に一切ゆだねられるという自由がカギなんだろうと思います。

マリリンコメント: アメリカから帰国したばかりの彼に、ぜひ旅人文化に何かを書いてください、とお願いしてみたら快く引き受けていただきました。どんなことを書いたらいいのかと、いろいろ会話を重ねましたのち、結局具体的な方向性は決めないまま、旅がテーマならどんなことでも、そしてそこでいう旅というのは、単純に旅行というものとは違うものととらえてください、というような話をして、じゃあ来週に原稿をということで待っていました。

その間、私自身は物理的に移動が伴うことのみが旅ということにはならない、逆に言うと物理的に移動したからと言って旅になるのかといえばそうでもないのではないか、などなど旅についてあれこれ考えているなか、彼からの原稿が届きました。

そして、彼の最初の文章を読みつつ、もしかしたら、こうして何かを思いめぐらせて書くということも、ある場合においては旅にでるということに近いことなのかもしれない、という気持ちになり、勝手にタイトルを付けさせてもらいました。

up date: 2008/07/30

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