はじめまして、ysといいます。ひょんなきっかけからこのサイト「旅人文化」に寄稿することになりました。外国(アメリカ)に5年ほど滞在していた経験から、「旅人文化」について何か言えることや書けることもあるかもしれないという考えで書くことを決めました。

「旅」って何のことでしょう?

このサイトは「旅人文化」と銘打っているということで、そもそも「旅」って何だ?というところから始めたいと思います。文章を書くときの鉄則、それは「知らない言葉を使うな、使うときは意味や用法をちゃんと調べろ」に従って、旅という言葉の定義、語源を探ることから始めました。

まず、goo辞書によると、旅の定義は、「住んでいる所を離れてよその土地へ出かけること」となっています。また、語源由来辞典によると、「古くは、遠い土地に限らず、住居を離れることを全て旅といった」そうです。さらに、「旅は多くの危険にさらされる苦しいもの」だとも考えられていたそうです。

日本語だけではなく、英語も調べてみました。すると英語のtravelという単語はフランス語のtravail(労働、苦労)が元になっていて、さらにそのtravailはラテン語である種の拷問道具を意味する単語が語源になっているんだそうです。やはり外国でも、少なくともヨーロッパ語圏においては、古来より「旅は苦しくてつらいもの」という捉え方をされていたようです。

振り返って今の私たちの「旅」という言葉に対するイメージはどうでしょう。人それぞれいろいろあるとは思いますが、少なくとも上の語源として出てきたような、「苦難」だとか「辛苦」だとか、ましてや「拷問」などといったイメージを持つ人はあまりいないような気がします。どちらかというと「危険なことやきついことはあるにはあるだろうけど、それも含めて楽しくてワクワクするもの」といった、肯定的な捉え方をする人が多いのではないでしょうか。

そこで、なぜ語源と、今の私たちがおそらく持ちがちなイメージとの間に、これだけの乖離が生じるのかを少し考えてみました。私は、それが「やむを得ずすることなのか」ということにかかっていると考えました。

昔の人々は、ごく限られた狭い共同体の中だけで暮らしていて、世界中の人と繋がっているという発想なんてまるでなかった。自分のその狭い世界の外部に関する情報もほとんどないか、あっても歪められたものが多かった。つまり無知だった。だから旅に出る、というのはそれこそ恐怖に満ちた暗黒の世界に飛び込む、ぐらいの感じだった。そしてそんなことをするのは、そうしなければその共同体だか個人だかの未来はない、この先生きていけないくらいの差し迫った必要に駆られたり、刑罰で追放されたりといった理由に限られていた。だから旅とは彼らにとって生きるか死ぬかくらいの問題だった。つまりそこから何か面白くて楽しい体験だとか見聞だとかを手に入れる、といったお気楽な動機が入ってくる余地はほとんどなかった。

その一方で、現代の私たちにとって、世界は一つで、情報も十分すぎるほどあって、しかも多くの場合それは的確で歪曲はない。よほど無謀なことをしなければ(あえて戦争中の国に行くとか、犯罪多発地域を夜出歩くとか)無駄に危険な目に遭うことはめったにない。つまり危険は危険でも、ほとんどの場合想定内の危険に過ぎない。私たちが「旅する」というとき、それは治安や政情といった情報がきちんと手に入り、どこが安全でどこが危険か事前に知ることができ、そして何と言っても、途中で野垂れ死にせずに何とか最終的には帰るべきところに帰ることができる、というかなり高確率な保障もある。かつての遣唐使の旅なんかとは根本的に別物なわけです。

つまり私たちが持ちがちなイメージである「危険かもしれないけどやっぱり楽しい旅」は、昔々の人々の考えていた「旅」とは違うもの、と考えた方がいいのだと思います。語源における意味での「旅」は、現代の私たち日本人なんかだと、なかなか対応する例が難しいかもしれませんが(情報化、文明化が進んだ平和な国に住んでいるので)、拡大解釈するならば、仕事をしたり、恋愛をしたり、喧嘩をしたりといった日常的(?)な行為のつらなりも、その人の姿勢によっては(よらなくても?)「旅」と呼べるものの一部になるのかもしれないな、という気が私個人はしています。

そう考えると、よく「旅で自分の世界が広がる」という言い方がありますが、その旅というのは生きることそのもののことを言うんじゃないかな、という気がします。

外国に数年住んで感じたことは、何かを思いながら、考えながら、感じながら、時間を生きていく、そしてそのことに自覚的であり続ける、ということが重要で、その結果としての、どこに行ったか、住んだか、何の仕事をしたか、誰と知り合ったか、といったことは本質的なことじゃないんじゃないかな、ということです。そしてこの感覚は、外国に住んでいなくても(帰国して日本に滞在していても)感じるようになっていたのではないかなと思っています。

up date: 2008/07/30

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